There is no accounting for tastes.
今回は『~ing』のもうひとつの用法『動名詞』
これは文字通り
『動詞』→『名詞』としてのはたらきを持たせる
訳としては「~すること」という意味になる。
『名詞』としてのはたらきを持つので、『名詞』と同じ使い方ができる。
- 『主語』として使用できる
これは以前出てきた
Seeing is believing.
「百聞は一見に如かず」
の『Seeing(見ること)』の部分が『主語』である。
ちなみに文の『主語』になることができるのは『名詞』のみである
- 『補語』になることができる
『補語』とは文の要素の何かと同じ意味を持つものであり
やはり先の例文
Seeing is believing.
の『believing(信じること)』の部分が『補語』でこの場合は『主語』と同じ意味を持っている。
つまり
『Seeing(見ること)』イコール(=)『believing(信じること)』
の形が成り立つ。
英語的には『be動詞』の後に直接くる単語は『補語』である。
今回の例文では
文の『主語』の位置には『There』があるが、これは倒置で先頭に出てきただけで
本当の『主語』はbe動詞のあと、『no accounting』になる
つまりこれは『動名詞』が『主語』であるパターン
『There is(are) ~』で『~がある』という訳し方をする。
『account for ~』で「~を説明する」
『no』は「ゼロの~」という意味で「~がない」という訳をするとよい。
『taste』は「味覚、好み」
There is no accounting for tastes
「好みを説明することは(存在し)ない」→「好みを説明することはできない」
という意味になる。
ちなみに
『there is no ~ing』の部分はそのまま「~することはできない」
として覚えてしまおう。重要表現です!
ところで
このことわざの「蓼(たで)」とは、辛みを有する植物で
通常は好んで食べる人も少ないが、それでもそれを好んでそれだけを食べる虫もいるから
「人の好みを説明することはできない」となります。
まさに『taste(味覚)』は人それぞれですね!