蓼食う虫も好き好き-人の好みはさまざまである-

2015/03/03 投稿

There is no accounting for tastes.

今回は『~ing』のもうひとつの用法『動名詞』

 

これは文字通り

『動詞』→『名詞』としてのはたらきを持たせる

訳としては「~すること」という意味になる。

 

『名詞』としてのはたらきを持つので、『名詞』と同じ使い方ができる。

 

  • 『主語』として使用できる

 

これは以前出てきた

Seeing is believing.

「百聞は一見に如かず」

の『Seeing(見ること)』の部分が『主語』である。

ちなみに文の『主語』になることができるのは『名詞』のみである

 

  • 『補語』になることができる

 

『補語』とは文の要素の何かと同じ意味を持つものであり

やはり先の例文

Seeing is believing.

の『believing(信じること)』の部分が『補語』でこの場合は『主語』と同じ意味を持っている。

 

つまり

『Seeing(見ること)』イコール(=)『believing(信じること)』

の形が成り立つ。

 

英語的には『be動詞』の後に直接くる単語は『補語』である。

 

今回の例文では

文の『主語』の位置には『There』があるが、これは倒置で先頭に出てきただけで

本当の『主語』はbe動詞のあと、『no accounting』になる

つまりこれは『動名詞』が『主語』であるパターン

『There is(are) ~』で『~がある』という訳し方をする。

 

『account for ~』で「~を説明する」

『no』は「ゼロの~」という意味で「~がない」という訳をするとよい。

『taste』は「味覚、好み」

There is no accounting for tastes

「好みを説明することは(存在し)ない」→「好みを説明することはできない」

という意味になる。

 

 

ちなみに

『there is no ~ing』の部分はそのまま「~することはできない」

として覚えてしまおう。重要表現です!

 

 

ところで

このことわざの「蓼(たで)」とは、辛みを有する植物で

通常は好んで食べる人も少ないが、それでもそれを好んでそれだけを食べる虫もいるから

「人の好みを説明することはできない」となります。

まさに『taste(味覚)』は人それぞれですね!